『荒地』の翻訳

 

・口開けて雪解雫を待つこころ

日本の戦後詩を考える場合、
T・S・エリオットの『荒地』を抜きにする
ことは出来ないわけで、
これまでもいくつか翻訳があり、
ぱらぱら眺めてきましたが、
割と最近(といっても五年前ですが)
岩波文庫で岩崎宗治さんの新訳がでましたから、
さっそく読んでみました。
なんというか、
原詩を読んでいないのに、
こんなことをいうのは
いささか、いや、
相当変かもしれませんが、
日本語として読む限りで申し上げますと、
肩の力が抜けてスッキリしており、
原詩を慈しむように訳されておられる印象を持ちました。
「訳者あとがき」に、
「加藤周一は、西洋の詩の翻訳が現代の日本の詩の大混乱の一因ではないか、
とりわけエリオットの『荒地』の日本語訳は「詩というものについての
誤解の種をまきちらした」のではないか、と言っているが、
「誤解」があったとすれば、それは『荒地』の問題だったのか、
紹介のされ方の問題だったのか、時代の精神風土の問題だったのか」
とあります。
詩を読んで理解するとはどういうことか、
改めて考えさせらた次第。
この本の参考文献リストに、
二〇〇七年に春風社から刊行された
中井晨先生の『荒野へ 鮎川信夫と『新領土』Ⅰ』
が取り上げられていました。

・雪解を待ちにし道の乾きけり  野衾