詩に笑う

 

・一年も残り十日の命なり

本を読んでいてたまに笑うことがあります。
読書は孤独な作業ですから、
本を読みながら笑うというのは、
ほかから見たら、
かなり変。
なので笑った後では、
湯気の粒粒がゆっくり舞い下りるように
孤独が降ってきます。
笑ったわたしを視ているわたし。
孤独と孤独が向き合って。
てか。
金子光晴の「老薔薇園」

……………
――この痍あとは?
――ペラシェーズの壁よ。コンミュン・バリカードの銃の痕。
私がいたづらな眼をおとして、小高い、かたちのいいさし乳のばらいろのパゴダ
を指でつつくと、
――あたしのサクレキュル(聖心寺)。
といひながら彼女は身をちぢめる。
――もうこれから、どつこへもゆかないね。
私は、うつくしいP孃、まことは氣位のたかい娼婦を抱きしめながらいつたもの
だ。
……………

パゴダとは仏塔のことで、ミャンマーでの呼び方。
乳首を指してパゴダとは。
さすが金子光晴。
女の乳首がパゴダなら、
パゴダは地球の乳首ならん。
修行後痩せ衰えたゴータマに、
スジャータは乳粥を差し出したこともあったではないか。
なんてことを想わないではありませんが、
根が下賤のためか、
「小高い、かたちのいいさし乳のばらいろのパゴダ」
にすぐに反応し、
早朝荘厳な時を劈くように一人
高笑いを発したのでした。
ちなみに、
「さし乳」とは「差し乳」のことでしょう。
母乳で常に張っている「溜まり乳」に対し、
赤ちゃんが飲むときにスッと出るのが「差し乳」
そんなことをわたしが知っているわけはなく、
ネットで検索して分かった次第。
にしても。
乳首をパゴダに譬えるか。
笑わずにいられない。

・テーブルに珈琲カップの裏返し  野衾