精神と物質

 

・秘め事を暴かれしごと蟹茹だる

高校の修学旅行で京都に行った。
京都を訪ねるのは初めてのことで四十年前ということになる。
清水寺は何日目だったろうか。
改修工事をやっていて、
工事現場の建物に人が立ち入らないように
との意図からか、
巨大なシートが被せてあった。
シートには請け負った建設業者の名前が記されていた。

そのときの印象が忘れられない。
とりあえず、
持参したカメラで写真に収めた。
あのとき感じたことを思い出してみると…。
寺は精神を表し、
深遠また深淵への入口だと思ってい、
利潤追求を旨とする経済行為を担う工務店や株式会社とは
よもや合体できるとは思えず、
それが赤裸々
青空の下で繰り広げられている状況が
拙い十代の眼に新鮮に映った
ということだったのだろう。

このときの印象に近いものを
自分の半生から検索すれば、
インドはヴァラナシ、
マニカルニカ・ガートで目にした遺体の火葬ということになる。
神秘的な雰囲気など微塵も感じらず、
青空の下、
裸よりも裸がごろりごろんと、
裏返った精神が剥き出しのまま焼け焦げていた。
悲しみよりも笑いに近く。
焦げた笑いを持って帰れるものならば
持って帰りたいとさえ思った。
人生は間違っていやしないか。
人生観は人間によって偏向されていやしないか。
強烈な匂いだけが効いていた。

・黄金の銀杏落葉を見上げたり  野衾