発見の現場へ

 

・きらきらと時の宝の落葉かな

ただいま通勤電車で『通勤電車でよむ詩集』を読んでいます。
文字通り。
新書判202ページとコンパクトながら、
通勤の数分が楽しくなる詩集です。
詩人の小池昌代さんが
これはと思う詩を選び一冊にしたもの。
どれもきらきらとし、
いま生まれたばかりの旬のもの、
また、
わたしのために書かれた詩なのでは?
と思える詩が少なくありません。
そう感じられるということは、
いい詩だからなのだと思います。
詩人の数だけ詩論がありそうで一概には言えませんが、
このアンソロジーを読んでいると、
詩とは発見であるとも感じられます。
ほかから見たら、
見ようによっては
ちっぽけと思われるようなことであっても、
それが喜びをともなった発見であれば、
それが詩になり、
発見の現場へ誘うところに工夫がある
とも言えそうです。
知らないことを発見すること
が発見かもしれませんが、
知っている、
あるいは、
知っていると思い込んでいることを、
自分の体験として、
ということは、
感情が発動し認知できることもまた
大きな発見であろうと思います。
それが詩になる、
て思います。
たとえば、
体得よりも信仰ということが、
発見できるだろうか。
ということはまた、
詩は冒険と言っていいかもしれません。

・情愛の恋し懐かし冬来る  野衾