歯医者にて

 

・秋を載せもの思ふ矢か風来る

きのうの定期健診で思い出したのですが、
ハッシーこと、
写真家の橋本照嵩さんから聞いた話。
検診で歯医者に行ったときのこと、
歯科衛生士をそばに居させ、
年配の女医が
ハッシーの歯と歯ぐきの状態を調べてくれた。
ハッシーは口を大きく開いている。
「まったく今どきの若い者は。
私らが若かったころは…」
「アアアアアッ!」とノド声を発するハッシー。
女医は、
ハッシーの歯や歯ぐきと
全く関係のない話をし始めた。
「………らまだしも、今はほんと、なっていません」
「アアアアアッ!!」
ハッシーだんだんイラついてくる。
イラついてくるが、
如何ともしがたく。
人間、
口の中をあれこれ調べられているときほど
無防備なことはない。
それをいいことに、
かどうかは定かならねど、
また、
ハッシーが黙っているからなのか、
てか、
口を大きく開いたまま
しゃべれる人(腹話術は口を閉じている)は
古今東西いないわけだが、
ともかくも、
無防備かつ口中全開状態のハッシーをよそに、
女医は延々若き歯科衛生士の彼女に
講釈を垂れ給ふたらしい。
歯科の彼女だからハッシーか。
ハッシーのハは歯で、シーはShe.
ダジャレはともかく
以上のことを橋本さんは、
なさけなさそうに
また悔しそうに教えてくれた。
わたしはふんふん、ふんふんと
初めは黙って聞いていたのだけれど、
その時の橋本さんの姿を後から思い浮かべたら、
なんだかぶつぶつと
笑いがこみ上げてきた。
話を聞いてから一週間は経っているのに、
思い出すたび可笑しい。
一日のうちで嫌なことがあったり、
ムカついたりしたとき、
歯医者で上を向き、
大きく口を開いて悔しい思いをしている
橋本さんの姿を思い浮かべると、
この世のくだらない意味が吹き飛び、
感情の波はいつしか治まっている。
不思議な魔法の笑い。

・夜の空に光り生れて闇青し  野衾