二而一

 

・雲立ちぬ天に届けの放屁かな

新井奥邃を読み解く幾つかのキーワードの一つに
「二而一」がある。
二にして一。
分かるようで分からない。
いただいて体得するしかないような字句。
ところで、
飯島耕一先生に導かれるようにして、
アンドレ・ブルトン著/生田耕作訳『超現実主義宣言』を読む。
その第二宣言冒頭に次の文言がでてくる。
「生と死、現実と想像、過去と未来、
伝達可能なものと伝達不可能なもの、
高いものと低いもの、すべてが
そこから見るともはや矛盾したものとは感じられなくなる
精神の一点が存在するように思えてならない
のである。
ところで、この一点を突きとめたいという希望以外の動機を
超現実主義的活動にたいして求めても、
それは無駄というものである。」
奥邃の「二而一」を説明している箇所かと見紛うが、
そうではない。
これは超現実主義、
シュルレアリスムとは何かを端的に説明している箇所だ。
飯島先生は若き日に、
シュルレアリスムを浴び、研究し、詩を書いた。
その後、先生は江戸へ留学(!)
いただいた中に、
「江戸へ留学した成果です」と記された本もある。
奥邃を読み解くのに、
シュルレアリスムは有効に作用しそうだ。
翻って、
その線で詩を読むことも楽しい。

・蝉鳴くやおもひさらふて庭を掃く  野衾