詩と出会う

 

・出てみれば灯下鳴かずの蝉ゐたり

阿部公彦『詩的思考のめざめ――心と言葉にほんとうは起きていること』
は面白かった。
その本に印象深く紹介されていたので、
つづけて小池昌代編著『通勤電車でよむ詩集』を読む。
古今東西の名詩を紹介した
一九二ページ新書版の小さな本。
「人と詩は、どのように出会うのだろう。
わたし自身を振り返ると、
誰かの書いたこの一篇に感激したというわけでもなかった。
そのような明白な意識以前に、もう、
詩と出会っていたという感覚がある。」
と、
「次の駅まで――はしがきにかえて」に書いてある。
『詩的思考のめざめ』にも引用されていた。
詩をそんなふうにとらえるのは、
肩の力が抜けたようで気持ちよく、
また、
小学校の行き帰り、
小学校に上がる前の時間を懐かしく思い出せるから、
ありがたい。
そんなこころでいると、
そんなこころに触れてくる映画が目の前に現れる。
『フェリーニのアマルコルド』は、
ふわふわと白い綿毛が舞い、
待ちに待った春がやってくるシーンから始まる。
木に登り「女が欲しい! 女が欲しい!」と叫ぶ男あり。
大きな胸と尻を持つ煙草屋のおかみさん。
シャッターを下ろした部屋で少年ティタは
太ったおかみさんを抱えあげる、二度、三度。
おかみさん、
牛の乳のような胸を出し、
ティタにふくませる。
「吹くんじゃないよ。吸うんだよ」
吹いたのは、見ていたわたしのほうで。
一本の太い筋はないけれど、
印象深いエピソードがちりばめられ、
全編詩魂に満ちている。
性の磁場にとらわれるまえ、もとい、
性をふくんで
しかしそれだけでない磁場の詩を読み、
そんな映画を、話を、人に、
見たい聞きたい会いたいと思った。
この映画、
詩を読むようにこれから何度も見るだろう。

・そんなことしてはいけない夏休み  野衾