I部長

 

・初雪や天蓋からの贈り物

昨日、
専務イシバシは
都内のある大学へ営業に出かけましたが、
そこで偶然I部長に会ったと、
帰社後報告を受けました。
I部長とは前の会社でいっしょでしたが、
倒産後どうしたかを知らぬまま十五年が経ちました。
I部長は以前、
本の訪問販売会社にいた人で、
前の会社の社長とどこかで知り合い、
乞われて会社に入ってきた人でした。
社長の感化によってか、
すぐに遊び人風のスタイルを身につけましたが、
本来は謹厳実直なひとではなかったかと思います。
あるとき、
よく行くスナックで、
供された皿の中にピスタチオが入っていました。
今でこそ珍しくないピスタチオですが、
あのころは
割と珍しかったと思います。
I部長、
ピスタチオを口中にポイと入れ、
ガリガリガリガリガリガリと。
社長、大笑い。
「お、おまえ!」
「はい?」とI部長。
「か、殻を外して食べるもんだぞ!」
「あ。どうりで」
「バカモノ! あはははは…」
I部長はわたしより十五歳くらい上で、
二人で飲む機会もたまにありました。
誘われて、
一度だけご自宅にお邪魔したこともあります。
小さな一戸建ての家で、
一歩家の中に入るや、
つましい生活ぶりが身に沁みました。
奥様にあいさつし、
和室に通されたあと、
テーブルの上に鮨の桶がでてきました。
わたしの好物が鮨であることをI部長知っていたのでしょう。
四人前ぐらいの桶だったと思います。
ビールで乾杯し、
それから日本酒に変え、
よもやま話に興じたのですが、
わたしは、ふと、
あることに気づきました。
I部長は、
鮨にほとんど手をつけていません。
申し訳ない気がして、
わたしもつい手を伸ばすスピードが落ちましたが、
そうするとすかさず、
「みうらちゃん、どうしたの。食べてよ。
せっかく取ったんだから…」
そう言われても。
そう言われると、
なかなか食べれませんでしたが、
でも結局、
ちゃんと食べました満腹になるほど。
さて昨日のこと。
イシバシの話によれば、
I部長、
今は年金暮らしだとのことですが、
相変わらず
何社かのシリーズものを一手に引き受け、
パンフレットを持ち歩いては
本を売っているそうです。
耳が少し遠くなったふうだったと。
家のローンは完済したのだとか。
お嬢さんが一人いて、
ずいぶん可愛がっていましたが、
どうしたでしょう。

・孫の手で背中掻きをり冬日かな  野衾