名古屋駅松坂屋前

 先生との待ち合わせの時刻まで少し間があったので、わたしは、デパート入口の公衆電話の前に置かれた椅子に座っていた。夫婦と思しき男女がやってきて、椅子に座りたそうにしているので、わたしは一つずれて、椅子2脚を空けた。男が着ていた割りと派手な模様のTシャツと女が口にしていたマスクが目立つほかは、とりたてて特徴のない初老の夫婦と見えた。
「ありがとう」
と男が言い、2人は椅子に腰掛け、薄いビニールの袋から大判焼きを取りだして食べ始めた。女は、マスクを外さないで、ずらして食べた。
「5時47分だでぇ、5時35分に行けばいいが。まぁ、それまで、すわっとりんしゃい」
 男の発した言葉にちょっと引っ掛かったが、目の前で若い母親に戯れる男児に気を取られ、すぐに忘れてしまった。母に甘えながら、ちらちらとわたしのほうを見る男児としばらく目だけで遊んだ。母の脚を柱にして隠れ、わたしがそっぽを向いたかなと思われる頃合を見計らい、ペロッと柱の横から顔を出した。母親は「すみません」とわたしに言い、わが子を促してデパートの中へ入っていった。
「そろそろ行ったほうがえぇ。あなたは歩くのが遅いでなぁ」と男が言った。
 女は、ゆっくり腰を上げ、男に何やら挨拶をすると立ち去った。その場に、わたしと男しかいなくなった。夫婦と見えたのは間違いのようだった。
「あのひとは85。歩くのが遅いで。わたしは83」と、男は言った。男は立ち上がり、椅子の横のゴミ箱にゴミを捨て、大股で歩き出し、デパートの重いガラスのドアを押し、右へ歩いていった。

466dd3da2dd5f-070606_0834~01.jpg