からだは天才

 竹内敏晴さんの新刊『生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち』(トランスビュー)を読んだ。自身の聴覚障害の体験を踏まえ、独自のレッスンをかさねてきた竹内さんの今の到達点なのだろう。「いまは発見されるものであって、語れるものではない」と竹内さんは言う。語れるものならば、レッスンをする意味はないということか。
 客体としての身体でなく、主体としてのからだをレッスンを通して生きてきた竹内さんは、意味(さらに精神)をもとめてレッスンを続けてきたのだと思い知らされた。
 以前、竹内さんが小社を訪ねてこられた時、県立図書館のある丘の上に立ち、ほんの少しの時間そこでたたずみ、あたりの景色を見まわしていた(手をかざしなどしたかもしれない)ことがあった。遠い記憶を探っている(迷子になった子供)ようにも見えた。竹内さんにそのことを確認しなかったし、本当のところは分からない。今回、『生きることのレッスン』を読み、なぜか、あの時の竹内さんの姿が浮かんだ。(風景と時間を生きる意味に照準を合わせていたのかな)
 からだから精神にいたるドキュメンタリー、驚きの道程がこの本には記述されている。世間的な常識を超えるからだの精密さ、地平に驚かされる。不思議!! 語り得ないいまっていうのが、なんだか、気持ちいい。分けへだてなく、だれにとってもの宝(光り輝くとはかぎらない)みたいで。そして、それは語れないんだ。

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