こころの猿

 

・箒星のごとしぶとき残暑かな

こころといってもいいのか、
人間には自意識、自我というものがありまして、
これがなかなか厄介至極。
自分の意識、自分の我なのに、
馬琴先生が猿馬と書いて
「こころ」と読ませているごとく、
一瞬も落ち着きなく
所狭しと暴れまわります。
どうやって飼いならしたらいいのか、
飼いならすことなど
そもそも不可能なことなのか、
わかりません。
怒り、悲しみ、寂しさ、不安、恐怖等々から
縛られ、
波立ち、
毛羽立っているこころを感じます。
新井奥邃の高弟・渡辺英一という人は、
「どんな不愉快な事件にぶつかっても、
何が不足でも、
病気をしても、
もの柔らかに、おだやかに、
静かで、
人気(ひとけ)のない所では、
いつもよく頭を垂れている。
いつも祈りのような状態で、
ひるも夜も、
学と修、修と学と、
沈黙とだけがつづく」人だったといわれています。
そういう人にこそあこがれますが、
すぐにこころの猿が
キキキキッと牙を剥きます。

・残尿のごとしつこき残暑かな  野衾