ファーブルの未来予測

 

・目でも読み耳楽します蝉の声

ファーブル先生は、
またこんなことも言っています。

未来をもっと先まで進んでみよう。進歩に進歩を重ねて人間はいつか文明と呼ぶものの過剰のために殺されて斃(たお)れるであろう日がいつか来るようにどう見ても思える。神様ぶるにあまりに熱心である人間は、虫の悠久な長命を望むことはできない。人間がやがて滅んだ時でもあのちいさなひきがえるは、やぶきり、このはずくその他と一緒にその連禱(れんとう)をいつまでも誦(とな)えていることであろう。彼らはこの遊星上で我々より以前から歌っていたのだ。彼らは我々の亡き後、不動なるもの、太陽の赫灼(かくしゃく)たる栄光をことほぎながら歌いつづけるであろう。

連禱というのは聞きなれないことばですが、
大辞林によれば、
「カトリック教会の礼拝で、
司式者と会衆とが交互にかわす連続の祈り」
とあります。
ファーブルは、
虫たちの鳴く声を連禱と聴き、
何千年何万年の遥か先に思いを馳せていたのでしょう。
ファーブルの遺言のようにも思えます。
仕事の帰り、
保土ヶ谷の小さな公園の横を通り過ぎます。
蝉たちがわんわと鳴き交していました。
ちょうど階段を上り終えたころ、
ドドーンと鳴って振り返ればただの宙。
そうか。
始まったのか。
きょうは花火の日だった。
少し待って次の花火が打ち上がるのを待ちます。
紅いきれいな花びらがパッと散り、
それからドドーン。
蝉たちの声は止みません。

・炎天下忙中閑の御香焚く  野衾