頼み方
仕事のことでなく、蕎麦、うどん。
JR桜木町駅を出てすぐのところにある立ち食い蕎麦屋・川村屋は「おつゆにこだわっている」んだそうだ。店内、あちこちにそう書いてある。アピールするだけのことはあり、実際に、おつゆが美味い。
そういう川村屋なので、いつも客でごった返している。ぼくは、「トリ肉ワカメうどん」をよく頼むのだが、以前、たがおと二人、渋谷まで出かける際に店に入り、例の如く、「トリ肉ワカメうどん」を頼んだ。そうしたら「トリ肉ワカメ蕎麦」が出てきた。ま、いっか、で、そのときは不平も言わず、黙って食べた。
が、その問題をずっと考えてきて、また、店で働くオバちゃんたちを見てきて、あることに気がついた。
たとえば、ぼくが、「トリ肉ワカメうどん」を頼んだとする。トリ肉はひとり分ずつ小鉢に入れてあり、それをまず用意する。えーと、トリ肉だけじゃなく、確かお客さんワカメもって言ったな(「トリ肉ワカメうどん」を頼まれたオバちゃんのこころの声)、そういう情報が錯綜しているうちに、うどんを頼まれたことを忘れる。無意識のうちに、比率的に多く頼まれる蕎麦のほうを金網のざるに入れ、湯に突っ込む。それがどうも「トリ肉ワカメうどん」を頼んだのに「トリ肉ワカメ蕎麦」が出てきた原因だったようだ。
また、さらに重要なポイントは、蕎麦にしろ、うどんにしろ、茹でる時間は絶対的に掛かるから、オバちゃんたちにしてみれば、天ぷらだとか玉子だとかトリ肉だとかワカメだとかを言う前に、まず、蕎麦かうどんかを伝えて欲しいところだろう。蕎麦ですか? うどんですか? と、運動会のマラソンで先頭きって走っていた少年が、踏み切りで足止めを食らい遮断機が上がるのを足踏みしながら待つような、きっと、そんな気分に違いない。
そこで、わたしは提案したい。立ち食い蕎麦屋で蕎麦かうどんを食う時には、修飾的なものを言う前に、まず、蕎麦かうどんのどちらかを告げること。オバちゃんたちの行動順序を踏まえ、オバちゃんたちが絶対に間違わないような頼み方を、こちらがすればよいのだ。以下はその参考例。
「ごめんください」
「はい、なんにいたしましょう」
「うどん」
「うどん、ね。うどん、と」(ここで、オバちゃん、うどんを金網のざるに入れ、湯に突っ込む。オバちゃん、安心)
「何かお入れしますか?」
「トリ肉とワカメ」
「はい。トリ肉とワカメね」
完璧! 間違いなく「トリ肉ワカメうどん」が目の前に供されることになる。合いの手の要領で、次の行動を促すタイミングで頼むことが肝要だ。以来、わたしは常にそのような頼み方をしている。
「うどん」
「うどん、ね。うどん、と」(ここで、オバちゃん、うどんを金網のざるに入れ、湯に突っ込む。オバちゃん、安心)
「何かお入れしますか?」
「天ぷら」
パーフェクト!
昨日、またまた、たがおと渋谷に行く用事があったので、川村屋で腹ごしらえをしてから電車に乗ることにした。道々、わたしの発見を厳かにたがおに伝え、川村屋に向かう。
昼近くのこととて、店内は、さらにごった返している。わたしはいつもの要領で、「うどん」「うどん、ね。うどん、と。何かお入れしますか?」「トリ肉とワカメ」。次にたがお。「蕎麦」「お蕎麦ね。お蕎麦、と。何かお入れしますか?」「天ぷらと玉子」。たがおは、わたしの教えを忠実に守り、難なく「天ぷら玉子蕎麦」をゲット。二人とも、つゆを最後まで飲んだのは言うまでもない。めでたしめでたし。
●「結論」から先に言う。まさに、外国の発想ですね! 一番言いたい事を、まず最初に伝えてから、細かく修飾語をつけたしていく。
●日本の発想の場合は、逆で、一番言いたい事を一番最後に言う。 外国の方々が日本人と話をすると「日本人は何を言いたいのか、要領を得ない」と困惑してしまう。
●たしかに、結論は先にあったほうがわかりやすい。日本にも「倒置法」という表現方法もあるわけですし。しかし、結論を最後に言う日本人の奥ゆかしさ、表現様式が忙しさにまぎれて失われてゆくのは、ちょっと哀しいかもしれない。
●しかしながら、相手の状況に応じて言葉を工夫する三浦さんの姿勢は、思いやりに満ちている。こんなに店の人を大事にしながら食事を頼むお客さんは、滅多にはいないかもしれない。…そう考えると、やはり三浦さんは細やかな古きよき日本人なのかもしれない。言葉を用いる方法論は外国的でも、心情は日本的なのだろう。
●そば・うどんをめぐるオーダーの仕方の比較文化。日常のなかにも、深いテーマが転がっている。
>阿部さん
今度桜木町にお越しの際は、川村屋で何かお好みの蕎麦かうどんを頼んでみてください。つゆにこだわりを持つ川村屋、なかなかです。その際はくれぐれも、蕎麦orうどん、を先に言うことをお忘れなく!
★三浦さんへ 感謝しています。
★蕎麦も饂飩も大好物ですので、楽しみです。いつか、そのお店に行ってみます。