文字以前

 付き合いのある業者のCさんが、個人的な友人で画集を出したがっている人の絵のファイルを預かっているが見てもらえないだろうかというので、先日、社に来てもらった。
 最近は、小説を読んでもらえないか、こんな企画があるが採用してもらえないか等々、いろんな形の持ち込みがあり、画集を作りたがっている人も結構多い。Cさんから話があったとき、付き合いもあるからむげに断るわけにもいかないなとは思ったが、正直なところ、絵を見るまではあまり期待していなかった。それぐらい寄せられる作品の数が多い。ところが、見てびっくり。ん! ん! ん! の連続。短い言葉と相俟ってその時々の内面世界が単純な線ですっきりと描かれている。色の付いたものもある。
 画集を出したいという気持ちが分かる気がしたし、それ以上に、こういう形で若い才能に触れたことをありがたいと思った。Cさんに感謝。
 また最近よく思うのだが、絵や写真(時に文章も)を見、惹き込まれるようになる時というのは、文字以前の幼いぼくが、きゃっきゃとはしゃいだり、うごうごと蠢いたりしているのではないかということ。わくわくしながら土器の欠片を拾いに行ったのは小学校に上がる前からで、本を作るのに文字以前のぼくが参加しているというのは変な喩えだが、そう感じるから仕方がない。Cさんが持ってきてくれた友人の絵を見た時もそう感じた。
 Cさんには今度、絵の友人と一緒に来社してもらうことにした。