秋高
雨の中エビチリ持っていそいそと
秋田高校のことを、
地元では縮めて秋高(しゅうこう)と言います。
秋高と聴けば、何やら背筋がピンとし、
どこか甘く誇らしい気持ちにもなります。
思い出すなあ、先週講演。
ははは…。もとい、千秋公園。
冗談はさておき、
秋田高校は、戦後の学制改革でそうなりましたが、
それまでは秋田中学校でした。
『龍の星霜 異端の劇作家 青江舜二郎』の青江は、
旧制秋田中学の卒業生で、
わたしにとって大先輩にあたります。
著者の大嶋拓氏の文章が、
秋田さきがけ新報の文化欄に掲載されました。
タイトルは「秋田中学時代の青江舜二郎」。
青江は、「一高の何倍も楽しかった」と述懐していたそうです。
大嶋氏が紹介している青江のエピソードに触れ、
昔を思い出し、誇らしい気持ちになりました。
そう感じたのは、わたし一人ではないでしょう。
大嶋氏の締めくくりの言葉がぐっと来ます。
「青江は三沢校長をはじめとする秋田中学時代の恩師たちの、
言葉を超えた教えを心に刻み、激動の時代に身を投じていく。」
大修繕部屋に咲いたる四葩(よひら)かな
楽しく拝読させていただいております。
以前から気になっていたのですが、
文中に「秋田さきがけ新報」と書かれていますが、
正式な新聞名は「秋田魁新報」、愛称(略称)が「秋田さきがけ」で、
「秋田さきがけ新報」という表記はあまり用いません。
細かい点ですが、地元には気にする人間もいますので、
一応お伝えしておきます。
コメントありがとうございます。
なるほど。そうなのですね。
あわてて新聞を確かめたら、
紙面の上に「秋田さきがけ」とありますが、
「秋田さきがけ新報」とはなっていません。
わたしの勝手な思い込みでした。
これから気をつけます。