中野さんのこと

 

わたしにとりまして中野さんといえば、中野好夫さん。なかのよしおさん。
大学生のときに読んでハマり、
その後もずっと好きで読んできた三人がいまして、
その筆頭が中野さん。
筑摩書房から『中野好夫集』全11巻が出ていますけれど、
生活がきびしく、
おカネがあまりなかったときも、
『中野好夫集』だけは、古書店に売りませんでした。
シェイクスピアは、まず中野さんの訳で読んだし、
中野好夫さん、朱牟田夏雄さん、中野さんのご長男の好之(よしゆき)さん
とリレーされたギボンの『ローマ帝国衰亡史』も、
中野さんが訳し始められたとき、
雑誌で熱く語っていたので、
中野さんがこれほど言うのだからと思い、読み始め、
読み終えました。
さて、
どうしていま中野さんかといえば、
中野さんの仕事で、読んでいなかったものがいくつかありまして、
それは翻訳です。
新潮文庫に入っているディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』。
おもしろく読んでいますけれど、
ああ、中野さん、中野さんだなぁ、と思うのは、訳語
であります。
たとえば、
小説中にでてくるいや~な人間の性格描写の表現として、
英語の何を訳されたのか分かりませんが、
「卑下慢」というのが出てきます。
卑下慢、ひげまん? 聞いたことないなぁ、
と思い辞書で調べたら、
ありました。
「「卑下も自慢の中(うち)」に同じ。」(『広辞苑』)
さらに「卑下も自慢の中(うち)」
の説明として、
「卑下しながらそれを美徳としてほこるのにいう。」
と。
じつに言い得て妙。
もうひとつ。
「卑下慢」は、「卑下」に自慢の「慢」ですから、
なんとなく想像できましたけれど、
新潮文庫第三巻85ページにでてくる「べえろしゃ」には参った。
前後の文脈から、
これもなんとなく想像はするものの、
自信がありません。
辞書にもでていない。
ネットで調べたら、ありました。
尾盧左(読み)べいろしゃ。
「(「べえろしゃ」とも。光明真言の「唵(おん)・阿謨迦(あぼきゃ)・
尾盧左曩(べいろしゃのう)」などの語が理解しがたいところから)
舌が回らなかったり、
わけの分からないことをしゃべったりする人をいう。」
これ、
笑ってしまいました。
どの場面でこれが出てくるかというと、
少年から青年にさしかかった頃のデイビッド君が、
恋する相手からもらった手紙の文面を見たときでありまして、
ことばの意味が分かって小説の本文に戻ると、
ことばが難しいだけに、
かえって可笑しみが増すようで。
べえろしゃか。
どこかで使えるかな。

 

・入学式涙目の子の小さき椅子  野衾