触れる

 

・道端も階段横も春が行く

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

寺山修司の有名な短歌ですが、
マッチ擦るという動作も
このごろはトンと少なくなりました。
かといって、
百円ライターでは、
上の短歌は成り立ちません。
百円ライターがなかった頃の叙情ということでしょう。
ところで、
マッチといえば思い出すことがあります。
かつて竹内演劇研究所に通っていた頃、
いろいろなレッスンがあった中で、
ある行為をするのに、
いくつの動作を重ねなければならないか、
というのがあり、
「マッチを擦る」ことが
問題に出されました。
さあ、
それでは問題です。
目の前にマッチがあるものとして
「マッチを持ち上げる」を第一の動作と数えるとき、
マッチ棒の先にボッと火が点くまで、
いったいいくつの動作が要るでしょう?
実際のマッチを使わずに、
想像だけでやってみてください。
レッスンでも、
実際のマッチは使いませんでした。
体が記憶している動作だけで、
というところがミソなのでしょう。
すると、
「マッチを擦る」という単純な行為に、
かなりの数の動作が内包され、
連鎖連携していることに気づき驚かされます。
一つの動作はつぎの動作をさそい、
支えます。
想像であっても
正確にモノに触れてゆく、
触れようとすることで、
眼の前にマッチが現出してきます。
マッチ擦るつかのま…

・春の風撫でてお次はだれの首  野衾