プルタルコスさんの『英雄伝』は、50人の政治家・軍人を取り上げています。
ことばによる肖像画と呼びたくなるほど、
取り上げられている人物たちが活き活きと描かれています。
これまで自分なりに描いてきた人物像が修正を迫られる、
そういう人もいます。
また、もちろん初めて知る人もいます。
さらに、
巻を進めるほどにおもしろいと思うのは、
それら傑物たちの描写をつうじて、
書き手であるプルタルコスさんの人となりが
だんだん見えてくるように感じられることであります。
カトーがまだ軍務に就いていたとき、
兄のカエピオがアジアへ向かう途中にトラキア地方のアイノスで病に臥した。
知らせの手紙が、すぐにカトーのもとに届いた。
当時、海は大荒れで、
しかも十分な大きさの船は手元になかったけれども、
カトーは友人二人と下僕三人だけを連れて小さな荷船に乗り込み、
テッサロニケから船出した。
そして危うく難破しそうになりながらも、
奇跡のような幸運に助けられて到着したのは、
カエピオが息を引き取った直後のことだった。
カトーが泣き叫び、遺体を抱いて、悲嘆に暮れるそのさまは、
不幸の耐え方として哲学者らしくない、
感情に負けた者のように見えた。
そのうえ葬儀に贅の限りを尽くし、高価な衣装と香料を遺体とともに燃やしたことも、
またアイノスの中央広場に八タラントンの費用をかけて、
タソス産の大理石で墓碑を建立したことも、
そのような印象を強めた。
こういうことはカトーがふだん見せる克己心とは相容れない、
と咎める者もいたが、
そういう者は、
恥ずべき快楽と恐怖と懇請にけっして屈しないこの人の剛毅の下に、
どれほどの慈悲と愛情が隠れているかを知らないのだ。
(プルタルコス[著]城江良和[訳]『英雄伝 5』京都大学学術出版会、2019年、
p.336)
わたしは個人的に、この箇所がとても好きです。
哲学者が王として統治するか、あるいは、王が哲学を修めるのでないかぎり
国の不幸は終らないという考え方・思想が
プラトンさんの政治哲学の根本であり、
それをプルタルコスさんは信奉しておりますが、
そのさらに奥深く、
人の見方のやさしさが隠れていて、
それがたとえばこの文章に表れているように感じます。
・うつすらとご縁たまはる初日かな 野衾