トマス・アクィナスさんといえば、「聖」のつく偉いひとのイメージがあり、
また、
日本語訳で45巻にもなる『神学大全』を書き、
しかも未完で、
さらに『神学大全』は聖トマスさんの全著作の七分の一、
なんて言われると、
どんだけ本を書けば気が済むの、
と唖然としてしまいます。
ですが、
デカルトさんが愛読し、
神学者としては唯一研究しようとしたのが聖トマスさんだった、
なんてことを目にすると、
また、ふつふつと興味がわいてきました。
そうすると、不思議なことに、そこに触れてくるような本が目につき、
さっそく取り寄せ、読んでみました。
彼が人間の問題に対するように天使の問題に興味を抱いたのは、
それがひとつの問題、特に中間的存在者というひとつの問題だったからである。
神よりも下で人間よりも上
であるこのはかり知れぬ知的な存在者の中にあると彼が考える神秘的な特質について、
私はここで取り扱うつもりはない。
その独自な段階の理論を発展させるにあたって、
この神学者が主としてかかわっていたのは、
鎖の一環、階梯の一段の持つこの特質であった。
なかでも、
人間の中心的神秘を魅力的に感じた時に、彼の心を主として動かしたのは、
まさにこのものだったのである。
彼にとっては、要点はつねに、
人間は空に上って行く風船ではなく、
大地にの中に単にもぐっているもぐらでもなく、
むしろ根を地中にはって養分をとり、星に向かって、
もっとも高く枝を伸ばしているように見える樹木に似ているということであった。
(G.K.チェスタトン[著]生地竹郎(おいぢ・たけろう)[訳]
『聖トマス・アクィナス』ちくま学芸文庫、2023年、pp.205-6)
ああ、この人は光を見ているのだな、
想像するに、それは、
5歳から14歳まで学んだモンテ・カッシーノのベネディクト会修道院での、
体験の時間によるところが大きいな、
と感じます。
「天使的博士」より、
「光の教会の牧人」というのが、
わたしにとってのトマス・アクィナスさんです。
引用文のもとになっているのは、
1976年12月8日に春秋社から刊行された『G・K・チェスタトン著作集6』所収の
『聖トマス・アクィナス』です。
・かなかなや閑の境内子らに降る 野衾

