久々に

 母を連れ逃げしことあり春の夢
 家の前にバスが停まり、バスは膨らんでいるように見え、膨らんでいるように見えたのは、中にぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた邪悪な者たちの気配によるものだと、すぐに分かった。邪悪な者たちはものすごい形相で、ただならぬオーラを身に纏いながら、順番にバスを降り、四方八方へ散っていくようであった。
 こうなっては、もうどうしようもない。家に居たんでは見つかってしまう。押入れなんかに隠れたって、意味はない。
 父は、大丈夫。弟も、逃げたようだ。こうしてはいられない。わたしは母の手を握り、東の山を目指し、田の畦を一目散に走った。振り向けば、異様な気配はまるで火事のように家全体を押し包み、それが、どうもこちらに向って体勢を整えているようなのだ。母はと見れば、だんだん息せき切っているようだけれど、急ぐ脚を遅らせるわけにはいかぬ。急げ! 急げ! 急げ!
 後ろから近づいて来る者がいる。見れば、だれとは知れぬ。あの者たちの仲間ではないのか…。怖がらなくてもいい。やがて追っ手はお前たちにも向うはずだが、丘を下り、東の山のふもとに男が一人待っている。それに着いて行け! 言い終わるや、男はどこへともなく去っていった。わたしはまた母の手を握り、走らなければならなかった。いつまで走らなければならないのだろう。男の話を信用していいのかも分からなかった。信用したい自分の心が弱くなっていた。

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