秋晴れ

 きのう、おとといと冷たい雨が降っていたのに、今朝はすっかり晴れ渡り、ぽっかり雲など浮いたりして、なんだか気持ちいい。
 パソコンに向かい、いつものように、さて今日は何を書こうかな、と、ひょいと窓の外を見たら、猫がいた。三毛猫。
 盆栽棚の上にある、オブジェにいいわいと思ってかつてどこかから拾ってきた錆びた鉄屑が、猫にはちょうどいいぐらいの寝床で、そこにすっぽり収まり、ベランダの下10メートルほどのところを歩いてゆく人間を、つまらなそうに見たり、大きなあくびをしたり。と書いているうちに、猫は、外への興味を失ったか、くるんと体を丸めて、ぺたりと寝てしまった。ときどき耳をピンと立てる。
 秋田の実家では、家畜も多かったが、猫もいた。代々黒で尻尾の丸いものと決まっていた。死んだ祖父トモジイが、二つの条件を満たす猫でなければダメと言ったからだ。あの頃のトモジイは威厳があったから、家のしきたりとして別に疑問に思わなかった。トモジイが鶏を好きなわけは晩年本人から聞けたが、猫が黒く尻尾の丸いものでなければダメの理由は聞けずじまいになってしまった。
 今ぼくが勝手に想像するのは、黒い毛並みが光を反射し銀に輝く姿を良しとしていたのではなかったか、ということ。しなやかで強い感じがするではないか。トモジイを思い出すと、自分と似ているところが多く見出せるから、黒い猫についても、感覚的な好みの問題だったような気がする。あるいは、トモジイは高級がとっても好きだったから、黒い猫が単にそう見える、ということだったのかもしれない。
 ところで、丸い尻尾というのは何なのか。ふむ。長い尻尾より丸いほうが可愛いとでもトモジイ思ったか、よく解らない。子どもの頃、近所の家や親戚の家に遊びに行って、長い尻尾の猫が出てくると、自分の家のと違うからギョッとしたものだ。
 ん、いつの間に下りたのだろう。三毛猫がどこかへ消えた。