1300年間で2人目!

 4年に1回開かれるオリンピックのマラソンでは世界記録が次々更新されるが、なんと1300年の歴史で2人目という奇跡的な偉業を成し遂げた人がいる。塩沼亮潤さん。昭和43年、宮城県生まれ。
 修験道のなかでも最も過酷な行とされる千日回峰行にいどみ、みごと満行を果たした。
 昭和63年に吉野の金峯山で出家得度。千日回峰行満行に9年の歳月を費やしたというから驚く。山を歩く期間が5月3日から9月22日までと決められていて、1年で4か月120日しか歩けない。あとは霜が降りたり雪が積もったりで、物理的に無理なのだそうだ。
 往復48キロの山道を1日16時間で駆け上り、駆け下りる。夜の11時半起床。滝で身を清め、その後500段ある階段を上って行者の参籠所に行き、そこで着替えをしながら小さなおむすびを二つ食べる。12時30分頃に編み笠をかぶり提灯一つ携え、一人で山へ分け入る。24キロ先にある折り返し地点の大峯(おおみね)山頂に着くのが朝の8時半。そこで小さなおむすびを食し、来た道を下って吉野山に戻ってくるのが午後3時半。「自分のことは自分で」というのが吉野の修験の掟で、山から戻り泥だらけになった装束を洗い、掃除をし、それから食事をとる。山を歩いて気がついたことを日記につけると午後7時。それから4時間半の睡眠をとり、11時半に起床。また山へ入る。……
 3か月目がちょうど梅雨明けにあたるらしく、そこでぐんと体力が落ちる時期があるそうだ。その1週間くらいは決まって血尿が出る。それを過ぎると体が軽くなるという。ある時、夜中に山道を歩いていて、急に足をつかまれたように両足が動かなくなった。「あれ、何だろう。ここはどこだろう」と我に返ったら、30センチくらい先が崖っぷちだった。うとうとしながら歩いていたことに気づいたという。
 毎月送られてくる『致知』に塩沼さんと筑波大学名誉教授で遺伝子工学の村上和雄さんの対談が載っており、むさぼるように読んだ。百日練功でもおぼつかないというのに、1300年間に2人目という千日回峰行の過酷さを想うと眩暈がしそうだ。というか、想像を絶する。顔写真も載っていたので、よく見たが、拍子抜けするほどの温顔なのだ。とがったところなど微塵も感じられない。現在は仙台市秋保(あきゅう)にある慈眼寺住職。
 もっと知りたくなったので、さっそく『大峯千日回峰行』(春秋社)をネットで注文。

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