ニュアンス

 営業のマサキさんが初めてトップページに書いてくれた昨日の記事中、ふさわしい絵文字が適所に配されていたので、絵文字かわいいねと告げたら、「ありがとうございます」と。わたしはマサキさんのこの「ありがとうございます」が好きで、彼女は嫌だったかもしれないが、入社以来何度となく、本人の前でも真似し、そのニュアンスをつかもうと躍起になった。
 たとえば――
 わたしに三つ下の妹がいるとする。わたしと同じ田舎育ちなのに、妹はアケビやタンポポやアサガオの花には目もくれず、小さい頃から鮮やかな紅いバラの花が好きなのだった。彼女が小学四年生のときだから、わたしはすでに中学生。少し色気づいてきたわたしは、妹の誕生日に彼女の好きなバラの花をプレゼントしようと思い立ち、隣り町の花屋に出かける。わたしの村に花屋はなかったから。自転車を漕ぎ漕ぎ、やっと花屋に辿り着く。ポケットからお金を取り出し、「バラの花をください」。ところが、店の中にきれいな和服を着たおばさんがいわくありげにバラの花束を持って立っており、エプロン姿の店員が、「あいにくとバラの花はたった今、売り切れてしまいました」と言う。わたしはだまっておばさんの顔とおばさんが手にしているバラの花束を交互に見つめる。すると、おばさんが、「1本だけでもいいかしら。1本だけでゆるしてくれる?」。わたしはどぎまぎしながらも、うれしくて、差し出されたバラ1本をきつくにぎりしめ、「ありがとうございます」
 マサキさんの「ありがとうございます」は、たとえばそんなときの「ありがとうございます」なので、わたしは彼女の発するニュアンスをつかみたくて、役者がセリフを練習するように、「ありがとうございます」を何度も繰り返す。
 真似ることは、少し格好をつけて言えば、こころのかたちを自分の身にうつし取ることだ。師匠竹内敏晴は人の真似、正確には、人の姿勢を真似ることが本当に上手い。姿勢は、生きる、生きようとする勢いがかたちとなって現れる姿であり、竹内レッスンはそういう姿に触れる喜びと驚きの場でもあるのだろう。
 人それぞれのニュアンスをうつし取ることは、今風な言葉で言えば、いわゆる言葉以前のコミュニケーションの本質にかかわると言っても過言ではないだろう。