書く行為

 

 四月待つこころはあれど仕事あり

『サミュエル・ジョンソン伝』をしこしこ読んでいますが、
書くことの罪と恐ろしさを深く教えられます。
たのしさもまた。
サミュエル・ジョンソンは一七〇九年生まれ。
イギリス人。
彼の伝記を書いたのは、ジェイムズ・ボズウェル。
こちらは一七四〇年の生まれ。
イギリス人。
ジョンソンが亡くなるまでの
二十一年間の付き合いの詳細な記録をもとにし、
さらに、
ジョンソンの人となりを伝える資料を付加して書かれたのが
『サミュエル・ジョンソン伝』。
サミュエル・ジョンソンが大文豪と称されるのに対し、
ボズウェルはといえば、
さしずめ文豪ミニ。
どころか、
ジョンソンの伝記を書いたことによって、
そのことによってのみ歴史に名を残した
みたいな、
ちょっと酷ないわれ方をしてきたようです。
それがようやく切り離され、
ジョンソンはジョンソンとしての、
ボズウェルはボズウェルとしての価値が
取り沙汰されるようになったのは、
二十世紀に入ってからなのだとか。
ボズウェルの家族、遺族が大変な思いをしてきたことを、
訳者の中野好之さんが三巻の解題に書かれています。
そこに次のような言葉があり、
ハッとしました。
「今この解題を書いている訳者自身の私事にわたることへの
読者の寛恕が与えられるならば、
私自身この種のボズウェルの遺族の気持が
さながら自分のことのように実感できるだけの個人的体験を、
二十世紀のこの極東の文化的な後進国で、
長年にわたり体験したことを一言あえて言い添えておく。」
好之さんは英文学者・中野好夫のご長男であり、
中野は『蘆花徳冨健次郎』で、
一九七四年に第一回大佛次郎賞を受賞しています。
中野は他にもいろいろ書いていますから、
これだけで特定はできませんが、
徳冨蘆花の文字通りの赤裸々な日記の刊行にも
中野は関わっていますから、
息子である好之さんの苦労が偲ばれます。
この場合は伝記ですが、
伝記ならずとも、
ものを書くということは、
並大抵のことではないと思い知らされます。

 目覚めては師の影消えず春の宵  野衾