写真の時間

 写真集『北上川』の編集のため橋本照嵩さん来社。B5判208頁に収める写真と並び順がほぼ決まり。
 床いっぱいに並べられた写真に見入っているうちに、現在の時間の中で写真を見ているのに、なぜか逆転現象が起こり、そういう言い方でいいのか分からないが、いわば「写真の時間」に引きこまれていく。写真の力によって写真と「私」の関係が変容していくようなのだ。
 おとといのことだから日曜日だ。夕方買物を済ませて坂道を登っていたら、数メートル先を猫がゆっくり歩いていた。いたずら心が湧き、ミャーとやってみた。表記は「ミャー」と書くしかないが、猫は「ミャー」とは鳴かない。烏も「カー」とは鳴かない。動物の鳴き声は母音で始まる。それはともかく、わたしの下手な鳴き声を聞いて猫が振り向いた。なんだかうれしくなる。ちょっとこっちを見、それから元へ戻って歩きはじめる。わたしはまたミャーとやる。猫は振り向く。猫とわたしの距離が近づいたので、わたしはいろいろ声音を変えて鳴いてみた。猫は歩くのをやめ、ちょこんと道に座ってわたしのほうを見ている。あの目。
 どれぐらい時が経ったろうか。横の藪から子猫が母猫を促すように這い出してきたのが見えたのをさかいに、わたしのほうが先に立ち上がった。猫の目をじっと見ているうちに周りの風景が暗く背後に退いたのは夕刻のせいばかりとは言えない気がした。
 名前も知らない猫との短い蜜月はいろいろなことをわたしに考えさせてくれたが、橋本さんの写真を見ているうちに同じような感覚にとらわれる瞬間があった。写真の中の馬が蹴った泥が撥ねてわたしの鼻の下に飛んできた気がしたものだ。馬の目。すべては関係性の中にあると言ったブーバーの言葉を不意に思い出した。