最終巻

 『新井奥邃著作集』別巻について、監修のダニエル・コール氏と電話で打ち合わせ。
 創業のときに始めた企画だから六年かかったことになる。まあ、そんなものだろう。今回は凄いよ。奥邃の文章と聖書との対照表、年表、索引、墨蹟など、美味しい資料が目白押し。特に、聖書との対照表はコールさんの労作で、コールさんでなければこの短期間に仕上げられなかっただろう。すべての道はローマに通ずの言葉に比すべく、キリスト教が奥邃の血となり肉となっていることが一読わかるようになっている。本来なら、このテーマだけで一冊の研究書になるところ、出血大サービスでこの巻に組み込むことにしたのだ。もう一つのテーマ、儒教が奥邃にどんな風に流れこんでいるのかは、今後どなたかに研究していただくしかない。
 教育哲学者の林竹二は生前、人間だけが生来持っていない外の文化を吸収し自分の生きる力にできる動物だと言った。オタマジャクシはどこで成長してもカエルになる(アメリカの池で捕まえたオタマジャクシを日本に持ってきて池に放したらエビになるということはない)けれど、人間の子はどこでだれから育てられたかによって、人間にもなれば人間以外の動物にもなり得る。アマラとカマラがいい例だ。人間が人間になることの不思議と秘密の核心を奥邃は教えている。
 コールさんとの打ち合わせの後、オペレーターの米山さんに電話し索引づくりについて相談する。あの世で奥邃さんに会ったとき、こういう仕事をしてきましたときちんと話ができるようにしなくちゃね、と彼女。ありがたい。彼女じゃなければ、漢文、英文、作字だらけの文章を一冊一冊にまとめることはできなかっただろう。
 それにしても、新井奥邃。あらいおうすい、と口にするだけで爽やかな気分になる。元気になる。