思うことと書くこと

 「思う」といってもただ漠然と「思う」わけにはいかない。整序されないながらも何らか言葉によって「思う」か、あるいは切れぎれのビジュアルなシーンを「思い」浮かべるか。だから「思う」はどこか妄想チック。それに比べて「書く」ことは、書いた分だけ安定するし安心する。どんなに妄想チックで恐ろしい不可解な主語であっても、がんばって述語を見つければ、交換可能な通貨を見出せたようで気持ちが落ち着く。述語だけでなく、相応しい修飾語があればなおさらだ。
 朝起きてこれを書くことを深く考えずにやってきた。今もそう。会社のホームページだし、あまりプライベートに偏らずにと少しは意識しながら。ウチらしさがどこか伝われば、ということで続けている。しかし、このごろあることに気がついた。私事で恐縮だが、机に向かいわけもわからず、いや、わけがわからないからよけい妄想に押し潰されそうになっているとき、頭に浮かぶ言葉の意味を考えながら単語を一つ一つつなげて行くこと、すなわち文を書くことは、朝の陽気に触れるようで気持ちよく、爽やかな気分にしばし浸れるということに。立ち往生している場所からとにかく一歩を踏み出すようなものだ。そうすると今度は足裏が気になる。