利き手

 わたしは両利きである。手のことだ。箸を持つ手は右、鉛筆は右、りんごの皮むきは右、野球は右打ち。そうすると、なんだ右利きじゃねえかとも思うが、必ずしもそうとばかりも言えない。なぜなら、消しゴムは左、包丁で果物の皮を向くのは右だが、野菜の千切りや微塵切りは左、野球のボールは左で投げる。腕相撲は圧倒的に左が強い。だから‘両利き’とは言っても、ひとつの作業を右と左両方同じようにできるわけではない。必ずどちらかの手が利き手であり、やってみて初めて利き手がどっちか気づく。親知らずが五本あることと手が両利きであることをもって、わたしは自分が進化しきっていないと見る。
 それはともかく、要するに、細かいテクニカルな作業は右、力仕事は左、というふうに分業ができているようなのだ。子供のころ頃矯正された記憶はないし、親に訊いてもそんなことはないという。
 今回、左の鎖骨を骨折したことにより普段意識してなかったことを意識する場面が多いが、髭剃りもその一つ。
 怪我をしているからといって不精髭を伸ばし放題というのもどうかと思い、洗面台にお湯を張り、シェービングクリームを顔に塗りたくり、ジレットの3枚刃を右手に持って静かに顔にあてた。鏡を見ながら剃り残しがないようにゆっくり時間をかけてやったのだが、どうも要領を得ない。はて、としばし考えたが、いつもは左手で髭を剃っていたことにはたと気がついた。ということは、わたしにとって髭剃りはテクニカルな業ではなく力仕事だということになる。なんでもないようなことながら、ちょっぴり発見の喜びに浸った次第。