関係する数

 電話で知人と話していて「関数」という言葉がでた。一次関数、二次関数、三角関数、複素関数いろいろあるが、そもそも「関数」とはなにか。「関数」の「関」は関係の「関」、とすると、「関数」とは「関係する数」ということになる。ふむ、なかなかエロい!
 ぼくの好きな国語辞書『大辞林』によれば【関数】とは、ふたつの変数x・yのあいだに、ある対応関係があって、xの値が定まるとそれに対応してyの値が従属的に定まる時の対応関係。yがxの関数であることをy=f(x)と表す、とある。
 いいねいいねいいねえ。対応関係、従属的。奥村チヨ「恋の奴隷」なんていう歌も昔あった。
 数と数の関係の中身を扱うのが「関数」。ならば、人と人との関係を「関人」と呼ぶかといえばそうではなく、一般的に「人間関係」と呼ぶ。主従関係、親子関係、恋愛関係、敵対関係etc。数学に一次関数ほかいろいろあるように、人と人との関係も内容によって呼称が違う。
 人と人との関係は、数学ほどには単純ではない。数学ではxが独立変数でyが従属変数ということだから、xが決まればyが決まる。ところが人間関係の場合、どちらがxでどちらがyかということは、なかなかに計りがたい。恋愛や夫婦の関係を考えれば、おのずと知れる。また何がxで何がyかということも、単純にはいいきれない。たとえば、親がいなければ子は生まれないことを考えれば、子は親の関数であるともいえるが、生まれた後は、親はもちろんだが、周囲の人びとや環境の影響によって子は育つ。その意味で、人は人と環境の関数と呼ぶこともできるかもしれない。
 これに関係した話で思い出すことがある。カエルの子=おたまじゃくしは、どこの池で育っても、餌さえあればカエルになる。誰に育てられようが関係ない。ところが人間は違う。親はなくても子は育つということわざがあるけれど、だれもいなくていいということではないだろう。人間に育てられて人間になるのが人間だ。オオカミに育てられれば人間の形をしたオオカミになる。昔ベンガルで見つかった。その記録を本で読んだことがある。悲しい時に涙を流すことも人間になる過程で教わると、そのとき初めて知った。もろもろの関係から人間になるための要素を吸収し、関係をかいくぐり、また、関係にしばられない人間になることが肝心。
 林竹二の授業「人間について」は、蛙の子は蛙、と同じ意味で人間の子は人間といえますか、の質問から始まった。最初にその授業記録を読んだときの興奮がまだ体から離れない。