体験を整理する
阿部謹也さんの『自分のなかに歴史をよむ』を、
いろいろ共感しながら読みました。
とくに子どものころからの自分の体験をどうとらえるかについての記述は、
ふかく納得するところがありました。
生きるということを自覚的に行うためには、二つの手続きがどうしても必要だと
私は思います。
ひとつは自分のなかを深く深く掘ってゆく作業です。
若い人には掘るべき過去も内容もないと思う人もいるかもしれません。
しかしそのようなことはないのです。
どんな人でも自分が自分であることが解ったときから、
つまり、ものごころがついたときから、
自己形成がはじまっています。
学問の第一歩は、
ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、
たんねんに掘り起こしてゆくことにある
と思うのです。
それは身のまわりに起こったことのすべてと自分との関係を、
いつごろからどのように気付いてきたのかを思い出すことからはじまります。
私は季節の移り変わりをいつごろどのように自覚したのか
自分の例をお話ししましたが、
それは今から振りかえってそういえるわけで、
あのとき季節ということばを用いて
そのような表現ができたはずはないのです。
子どものころの体験を現在整理するとそうなるということです。
(阿部謹也[著]『自分のなかに歴史をよむ』筑摩書房、1988年、pp.57-58)
阿部さんは、四、五歳のころ、鎌倉の由比ヶ浜に住んでおられ、
夏の終りを、足にあたる砂の痛さで知った。
そのことを印象ぶかく記しておられます。
・がんばれよ父言ふ母のがんばるよ 野衾