おセイさんはおもしろい 1

 

昨年大晦日の帰省の折、津田先生の本といっしょに、
おセイさんこと田辺聖子さんの本も一冊リュックに入れました。
津田先生のは、漢字が多く硬めなのですが、
田辺さんのは、エッセイということもあり、肩の凝らない、
ときどきクスっと笑える内容でした。

 

あと始末を考えないで、その場その場でハッタリをやってるのなら、
それは、
いくらでも「りっぱな仕事」ができるわけで、
カッコいいことであろう。
すべて、カッコよさというのは、あと始末なしのところに生まれる。
カッコよさ、というのは、やってる当人にいうと、
とても怒るところに特徴がある。
私は以前に、ゲバ学生と話してて、何心もなく、
「カッコいいと思ってる?」
といって、いたく叱られた。
彼は怒りでとび上り、
「カッコいいと思ってやってるんじゃないんだ!」
と叫んだ。
これは彼が、もしかしたら、
自己陶酔でカッコいいと思ってたせいかもしれない。
しかし彼は、
あと始末なんか考えないから、ゲバってられるのである。
「あと始末、あと始末というても、なあ……」
カモカのおっちゃんは考え深げに、
「男はあんまり、あと始末を叫ばれると萎縮してしもて、
ほんならはじめから、やめとこか、という奴もでてくる。
僕も、あと始末がじゃまくそうなると、
何もせんとこ、ということになる予感があります」
「そんなものぐさ、おっちゃんだけでしょう」
「いや、その昔、石原慎太郎サンが、障子を破ってみせたときも、
男はみんな、いうとった。破ったあと貼るのン、誰やねン、
て。
自分で破って自分で貼ってられまッか、じゃまくさい」
「まァ、その障子は別として、ですね……」
「あと始末といえば、女とナニする、あとコマゴマした用事する、
みんな男がやりまンのか」
「それはその……」
「シーツなおしたり、電気つけたり、タオルとってきたり、
水汲んできたり……」
「あの、それは、ですね……」
「そんな、しんどいあと始末せんならんのやったら、はじめからやめます。
見てみい、男にあと始末強要すると、こない、なるねん」
(田辺聖子[著]『女は太もも』文春文庫、2013年、pp.265-267)

 

文中「その昔、石原慎太郎サンが、障子を破ってみせたとき」
というのは、
石原さんが書いた短編小説『太陽の季節』を指しているんでしょう。
わたしはその小説を読んでません。
読んでないのに、
そのなかに性器で障子を破るシーンがあると知り、
ちょっと興味をもちましたが、
それ以上に、
じっさいに読んでいたら、ぜったいに笑う、
それも大声で笑ってしまうことは、
わたしの性格上、目に見えていますから、
それもあって、ま、読まなくていっかとなり、こんにちに至っています。
上で引用したエッセイのタイトルは
「あと始末」。
新幹線の車中、声を出して笑ってしまいそうになり、
あぶないところでした。

 

・おはようの上から銀杏落葉かな  野衾