本が本をよぶ

 

大学の経済学部に入り、三年生に上がるとき、ゼミを選択する必要に迫られ、
わたしは、嶋田隆先生の日本経済史をえらんだ。
じぶんが育った農村のことを学べるような気がしたことが、
選択の理由だったかもしれない。
嶋田ゼミに入って最初に読んだのが、
有賀喜左衛門の『日本家族制度と小作制度』
だった。
じぶんと自分のことを距離をおいて眺めることの必要、
その折の感覚をそこで知った気がする。
本に登場する用語は、
辞書で調べてよしとする、意味だけの、単なる熟語ではなかった。
たとえば、
本家、分家、という言葉を用いて論述される文章に触れると、
稲の収穫時期、子供までいっしょになって、
本家筋の家に集まったことが、
わくわく感や、ある恥ずかしさをともない、
きのうのことのように、
まざまざと思い出された。
『日本家族制度と小作制度』は
学問の本ではあるけれど、
記憶の呼び水という点において、
ほかの本と何ら変わるところがなかった。
有賀さんの本のこと、
それを当時どんな気持ちで読んでいたのか、
またそのころの学生生活
を思い出したのは、
いま読んでいるクロード・レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』
によってである。
マリノフスキー、ラドクリフ・ブラウンの名は、
有賀さんにほど近い。
一冊の本が過去に読んだ本の記憶を呼び覚まし、
それが、
本以前の記憶に直結している。

 

・いつの間にめぐるめぐるや虫の声  野衾