的屋

 

私は少年時代、戦後まもない頃、地方都市でのお祭りで嫌な経験をしたことがある。
知恵の環の屋台があり、
それを売っていたお兄さんは、
買わなくていいから試しにやってみな、と見物人にすすめていた。
彼は巧みに環を外してみせるので、
ついつられて手にとってみたが、
なんとそれは細いガラスでできているのだった。
外そうとして動かして、ちょっと引っぱったりするとすぐ折れてしまう。
お兄さんは「かまわない、かまわない」
と言う。
その調子の良さに乗せられて二、三本こわし、
あきらめてそこを去った。
そして二、三十メートルもゆくと、
別のこわいお兄さんがさりげなく追ってきていて呼び止められた。
「三本こわしたから○○円」と彼は言うのである。
あっと思ったがもう遅い。
一見して分るヤクザである。かなうわけがない。
それだけの金はなかったので、
あり金そっくり渡してかんべんしてもらった。
なるほど、あれがテキヤというものか、と思った。
(佐藤忠男『みんなの寅さん 「男はつらいよ」の世界』朝日文庫、1992年、pp.142-3)

 

わたし自身は、
こういうこわい経験をしたことはないけれど、
あっ、
と思ったことはある。
わがふるさとが町になる前、村の運動会のときだったと思うが、
知恵の環でなく、
薄い飴菓子、クッキーのようなものを売る屋台があった。
小さなまるい形のクッキーに、
たしか動物が線で描かれていて、
ふちの部分をきれいに外し、
動物の形をそっくり取り出せば景品がもらえる、
というようなことだったと思う。
わたしは、実際にはやらずに、そばで見ていた。
わたしの知らない少年がクッキーを買い、
それに挑んだ。
そうとう時間をかけ、ていねいにていねいに、ふちを外していき、
顔を上げた少年の目は輝いていた。
りっぱに動物の形になっていた。
なんの動物だったかは覚えていない。
それを屋台のおじさんに示すと、「どれどれ」というふうに、
おじさんは動物の形になったクッキーを受け取った。
すると、
「惜しいな。ここがほら、割れているじゃないか」
と言った。
少年はだまっておじさんの顔を見つめていた。
それからどうなったかは覚えていない。
わたしは、
そういう商売があるなんて思いもしなかった。
ただ、
おとなはズルいことをする、
と思った。

 

・新緑の重なる闇の淡きかな  野衾