将来の夢は

 

小学五年生のとき、だったかと思います。
担任は、小武海市蔵(こぶかい いちぞう)先生。
国語の時間に「将来の夢」をテーマに作文を書く、というのがありまして。
わたしが書いた作文のタイトルは
「日本一の百姓」
大きく出たものです。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、
なぜそのタイトルにしたかといえば、
理由ははっきりしていて、
稲刈り後の、父の、ある姿が目に焼きついていたからです。
当時まだコンバインはなく、
バインダーが出始めの頃だったでしょうか。
ともかく、
刈り取った稲をどうしていたかといえば、
地元で「ほにょ」と呼ぶ杭を田んぼに挿し、
束ねた稲をその杭に、たがいちがいに十文字に重ね上げ、
二週間ぐらいでしょうか、
天日で干し、
十分に乾いてからトレーラーに積み込んで、
家の庭と倉庫に、それでも不足のときは家のなかの部屋にまで、運び入れました。
天日で干した稲を運ぶというだいじな日の終りの回に、
雨が降ってきた。
父は、
着ていたものをすべて脱ぎ、稲を蔽い、
パンツ一丁となって、トレーラーに繋いだ耕耘機の運転台に乗った。
父は、無言のまま、
あたりまえのこととして動いていたようですが、
それはわたしが、
「働く」ということを、
理屈でなく見た、知った、瞬間であったと、
いま思います。
それを思い出したのは、
今月刊行された松本大洋の新作『東京ヒゴロ 1』(小学館)を読んだからです。
これは、
漫画編集者・塩澤を主人公にした物語で、
塩澤は、
じぶんが立ち上げた雑誌がうまくいかなかったのを機に、
30年間勤めた出版社を自己都合により退社します。
しかし、
漫画への熱い思い断ち切りがたく…、
というようにストーリーは展開していきますが、
30年間の編集者時代のエピソードが、
いい感じで、
ときどき差し込まれ、
塩澤の人となりがだんだん見えてきます。
かつて、
じぶんが担当した女性漫画家から出来立ての原稿を預かって外に出たとき、
雨が降ってきた。
塩澤は着ていた背広を脱いでぐるぐると原稿に巻きつけ、
傘をその上にだけ差し、
じぶんは濡れ鼠のようになって道を急いだ。
女性漫画家はその姿を、
深夜の喫茶店の二階から見ていて、ある決心をする。
「これからは、自分が好きなものだけ描く」
ここを見て、読んで、
父のあのときの姿がまざまざと蘇りました。

 

・秋深き丘に佇立の友を見し  野衾