ブリコラージュの詩

 

器用仕事(ブリコラージュ)の詩は、そのほか、またとりわけ、
それが単にものを作り上げたり実行することにとどまらないところにある。
器用人(ブリコル-ル)は、
前述のように、
ものと「語る」だけでなく、ものを使って「語る。」
限られた可能性の中で選択を行なうことによって、
作者の性格と人生を語るのである。
計画をそのまま達成することはけっしてないが、
器用人(ブリコル-ル)は
つねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこすのである。
(クロード・レヴィ=ストロース[著]/大橋保夫[訳]『野生の思考』
みすず書房、1976年、p.27)

 

ブリコラージュには「日曜大工」的なニュアンスもあるようです。
「詩を書く」ことはブリコラージュ、
なるほどと納得ます。
なぜなら、
まったく新しい詩を書いたつもりでも、
材料はといえば、
手持ちの、いわば、
手垢のついた言葉を使うしかないわけで。
新しいとすれば、
その新しさは、
一つ一つの言葉ではなく、
一つの言葉ともう一つの言葉の結びつきにある、
ということでしょうか。
西脇順三郎の詩論にも、
そんなようなことが書いてあったかと。

 

・洗はれて涙目となる磯の蟹  野衾