つわものたちの旅
「義経」第9回「義経誕生」を観る。遮那王は京を離れ奥州平泉に出発。家来を願い出る喜三太、弁慶、伊勢三郎の同行をゆるし東へ向かう旅は、西遊記や水滸伝、日本なら桃太郎を彷彿とさせ、ワクワクする。義経と同行のものたちの情の通い合いを想像するとたのしい。これからどんな世界が彼らを待ちうけているのか。
それぞれが個性を発揮し、その人でなければ果たせない仕事をきちんとする、そのひとが自分の仕事をきちんと成し遂げることで物語が大きく進展する。しかし、ある時点で脚光を浴びる人物も、その後は後景に追い遣られる。物語はそんなことに一向お構いなくどんどん先へ進む。そういう話が好きだ。歴史はそういうものだということを、わたしは林竹二の「開国」の授業(直接でなく本)で教えられた。
そうですね。歴史とはそういうものなのかもしれません。時代の大きなうねりを描いた作品なら尚更ですよね。
しかし、脚光を浴びた人物に焦点を当てて、その人物の生涯を追いかけてみるのも歴史のひとつの楽しみ方かもしれませんね。
私はむしろその方に興味があったりもします。
「義経 第8話」はそういう興味をそそる人物達が、どんな風に義経と絆を深めて行くのか・・・先がとても楽しみになる展開でした。
一昨日の9話の映像は西遊記のご一行様を感じさせられました。”ふふ”笑みがこぼれてしまいました。今後2話は彼らとの面白いひとときになるのか〜〜と想像しています。8話の心に突き刺さる氷の冷たさにも似た親子の別れのシーン・・・・そして・・・・9話、人物、物語の展開から目がはなせません。