だから方言はおもしろい

 

言語の生命が単に感性的なものであったためしは一度もないし、
だからといってそれは純粋に精神的なものでもありえない。
それはつねに身体であると同時に心でもあるようなものとして、
つまりロゴスの身体化としてしか捉えられないのである。
(カッシーラー[著]/木田元・村岡晋一[訳]『シンボル形式の哲学 三』
岩波文庫、1994年、p.221)

 

両親はもとより、
電話で秋田の人と話すときは、秋田の方言で話す、
というよりも、
すぐに方言が口をついて出る。
このごろ思うのは、
方言のニュアンス、イントネーション、アクセントは、
文字では表現不可能だということ。
たとえば「い」一音の豊かさといったら、
計り知れないものがあり、
とても文字には表現しきれない。
物知り顔でえらそうなことを言う人に向かい、
あるトーンと抑揚で
「いいい~~」といえば、
どんな単語よりも、
相手の発言をたしなめ、
冷や水を浴びせることができる。
いまとりあえず「いいい~~」と表記したが、
そもそも表記不能だ。
方言はまさに、
「身体であると同時に心でもある」

 

・町ひそと暮らしの香あり吊りしのぶ  野衾