ゲーテの本歌取り

 

私のメフィストーフェレスも、シェークスピアの歌をうたうわけだが、
どうしてそれがいけないのか?
シェークスピアの歌がちょうどぴったり当てはまり、
言おうとすることをずばり言ってのけているのに、
どうして私が苦労して自分のものをつくり出さなければならないのだろうか?
だから、
私の『ファウスト』の発端が、
『ヨブ記』のそれと多少似ているとしても、
これもまた、当然きわまることだ。
私は、そのために非難されるには当らないし、
むしろほめられてしかるべきだよ。
(エッカーマン著/山下肇訳『ゲーテとの対話(上)』岩波文庫、1968年、pp.176-177)

 

ゲーテはこのように語りながらとても上機嫌だったらしい。
ほかの人の作品をじぶんの作品に取り込むのは、
容易ではないのだろう。
深くその作品を理解していないと、
水と油の関係になりかねない。
引用した箇所のすぐ前でゲーテは、
イギリスの詩人バイロン卿について触れながら、
「実生活から取ってこようと、書物から取ってこようと、
そんなことはどうでもよいのだ、
使い方が正しいかどうかということだけが問題なのだ! と言うべきだった」
とも語っている。
なるほどと思う一方、
それを言ったのが、
凡人でないゲーテであることを忘れるわけにはいかない。

 

・レジ袋転がり宙へ春一番  野衾