アリストテレス

 

プラトンは分かりやすく
はないけれど、
ゆっくり読めばそこそこ分かります。
ところがアリストテレス、
とくに
『形而上学』となるとそうは問屋が卸さない。
2013年から刊行されている岩波書店の
『新版アリストテレス全集』
ですが、
『形而上学』はいまのところ蜜柑、
もとい、未完。
なので、
帰省のための新幹線車中にて
講談社学術文庫からでている岩崎勉訳のものをガシガシ読みはじめ、
読了まであと少し。
ふと考えた。
ヘーゲルの『精神現象学』をふくめ、
なんでいまそっち方面へ気持ちが向いちゃっているのか。
そして、
じぶんのことながら、
なるほどそうか
と思い当たる節がありました。
来月ついたちの日曜日
に予定されている対談のテキストに取り上げた
代田文誌の『沢田流聞書 鍼灸眞髄』のなかに幾度かでてくる、
「東洋では心臓と腎臓をあわせて精神とよぶ」
のことばが妙に引っかかり、
ならばヨーロッパではどうなのだ、
という興味関心が鬱勃として起こったことがそもそもの発端。
とは言い条、
東洋ならば一行で済む話が
西洋になると
どんだけー!
の本が積み重ねられなければならないかと
あらためて驚嘆した次第です。

 

・天蓋や無限にふるる蟬の声  野衾