象の宗教心

 

我々にはまた、象が多少宗教心らしいものを持っていることも理解できる。
なぜなら、彼らが幾度もその身を洗い清めた後、
我々が腕をさしのべるようにその鼻を高くさしあげ、
眼には昇る朝日をうち拝みながら、
一日の内のある時刻に、全く自発的に、
誰に教えられたのでも命ぜられたのでもなく、
長く瞑想静観にひたるのを見るからである。…
(関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』国書刊行会、2014年、p.559)

 

三十年もまえのことながら、
訳者がちがうとはいえ、
こんなことをモンテーニュが書いていることをすっかり忘れていました。
おなじページには、
蟻たちが他の蟻たちと談判する様子を記した古代ギリシアの哲学者クレアンテス
の記事も引用されており、
「レーモン・スボン弁護」というタイトルを冠していますが、
モンテーニュの自然観、宗教観、
ひいては人間観が垣間見えるようです。

 

・隠れなし恥じ入るほどの五月の空  野衾