澁澤さんの論語 3

 

子曰、其身正、不令而行、其身不正、雖令、不従、

子曰く、その身正しければ、令せずして行はれ、その身正しからざれば、令すと雖も從はず。

 

論語「子路第十三」の六にある言葉です。
令和の時代をまえに
新札の肖像として澁澤榮一さんのものがつかわれることになりましたが、
うえの言葉について澁澤さん、
こんなことを語っています。

 

人民は政に從はずして君に從ふ。
故に人を正しうする者は、宜しく先づ己を正しうせざるべからず。
正は中正、偏なく黨なきなり。
子曰く「その身を正しうせざれば、人を正すを奈何(いかん)せん」。
大學に曰く「その令する所、その好む所に反すれば、民從はざるなり。
民はその令する所に従はず、しかしてその行ふ所に従ふ。
故に牧民の道、身を以てこれに先んずるより善きはなし」と。
これを詳言すれば、
在上の君相、倫理を盡くし、言動を愼しみて、その身正しければ、
則ち教令して民を驅(か)らざるも、民自ら感化して善に趨く。
これと逆に、
君相自らその身の行ひを正しくせずして、徒らに言のみを以てすれば、
いかほど命令すと雖も、政令行はれずといふが、
これ孔子の政治の根本義なり。
政を言ふ諸章はみなこの根本義より出でざるはなし。
(澁澤榮一述『論語講義』二松學舍大學出版部、1975年、pp.667-668)

 

「令和」は万葉集からということですけれど、
俗に、命令に従って和する、と読めないこともありません。
それはただの邪推にすぎませんが、
令と民と政治について
新時代の新札に登場することになる澁澤さんの考えが目にとまり、
備忘録として
きょうの日記に引用しました。

 

・文庫本かわやの窓の蝶(はびら)かな  野衾