安心のにおい

 

精神科医の中井久夫さんの文章に
「不安のにおい」
に関するものがありますが、
不安のにおいというものがあるとすれば、
反対に、
安心のにおい
というものもあるのではないか。
そう思ったのは、
先日読んだ『ドリトル先生アフリカゆき』が
とてもいいにおいがし、
古くなった紙のにおいというだけではおさまらない気がしたからです。
五十一年前に発行されたものですから、
少なくともひとり以上のひとの手にわたり、
おもしろく読まれて、
そのおもしろいと思った
「おもしろい」の気持ちが本に込められたのではないか。
中井さんによれば、
かつての精神病院にはどくとくのにおいがあり、
それがなんのにおいかと思っていたところ、
あるとき
ある患者さんに中井さんが不安になるようなことを告げた、
すると、
あのどくとくのにおいがした…。
それは患者さんの吐く息のにおいであった。
それはひとを遠ざけるにおいであり、
他のひとがその場を去りたくなるにおいであったと。
だとすれば、
反対に、
ひとを引き寄せるような
安心しているときに吐く息のにおいというものもあるのではないか。
古書の『ドリトル先生アフリカゆき』のにおいは、
それをかつて読んだひとが安心
安気のこころで読んだ証ではなかったでしょうか。

 

・東風吹かば鳥来る道にひと渉る  野衾