怒りについて

 

古くはセネカ、近くはティク・ナット・ハンなど、
人間の怒りについて書かれた本は多く、
それは、それだけ
怒りを抑え
平常心でいることの
いかに難しいかを証するものなのでしょう。
怒りは、
正しさといっしょになれば義憤というわけですから、
悪感情とばかりもいえないわけですが、
コンプレックスといっしょになると
戦を好むようにもなり、
やはり、
感情本位を避け、
事実本位であることが肝要のようです。
さてわたしが子どものころ、
わたしの左どなりに祖母、右どなりに祖父が眠っておりました。
寂しさはあったけれど、
とくに不安も心配もなかった。
祖母が去り祖父が去って
わたしの左どなりには寂しさが、
右どなりには怒りが居座り眠るようになった。
両どなりを起こさぬように
しているけれど、
たまに目覚めさせてしまってあたふたと。
森田正馬を読みながら、
われについて考えることが多くあり、
病院ぎらいは仕方ないとしても、
寂しさも恐怖心も
天気をながめるごとくにながめる
ようになれればどんなにいいか、
そうなれれば
と願っています。
これまた日々の修行。
怒りも、
寂しさや恐怖心と同じく
しばらくそのままかまわずにいると、
ながれてどこかへ行ってしまう。
通り雨といいますし、
嵐だってやがては過ぎていく。
きょうの天気は晴れ、暑くなりそうです。

 

・走り梅雨何の予兆の利休鼠  野衾