ケータイ

 金壺に寒毒湛へて生きにけり
 けたたましい音で目が覚めた。枕元のケータイが鳴り、あわてて通話ボタンを押した。
「はい」と電話にでるのと目覚まし時計の針を見たのがほとんど同時。1時23分を回っていた。
「みうらちゃん? みうらちゃんなの?」
「そうだよ。ゆいちゃんか? 久しぶりだね。いま、仕事の帰り?」
「そ。みうらちゃん、からだ大丈夫? 元気なった?」
 相当酒が入っているようだ。
「ん。どうして俺のからだのこと知ってるの? ずいぶん有名になったもんだよな」
「なに言ってるの。みうらちゃん、こないだ、自分で言ってたじゃないか。おっかしいみうらちゃん」
「そうか? そうだったかな。ところで、ゆいちゃん、元気そうじゃないの」
「みうらちゃん、元気になってよかった。わたしは元気だよ。家のほうでいろいろあったけど、今は落ち着いたよ。元気になって頑張って生きているよ。だから、みうらちゃんも頑張って!」
「ああ、ありがとう。またそのうちお店に行くよ」
「うん、ありがとう。お店変ったんだよ。ママと一緒に辞めちゃった。今は別のお店。でも、ケータイの番号はおんなじだから、来てくれる気になったら電話ちょーだい」
「わかった。はたちの娘じゃないんだから、あんまり飲むなよ」
「わかってるよみうらちゃん。みうらちゃんも、からだ、気をつけなよ。じゃ、またね」
「ありがとう。ゆいちゃんもからだに気をつけて。じゃ、またな。電話ありがとう」
 思わぬ人からの久しぶりの電話だった。
 ゆいちゃんは源氏名。夜の仕事をしている。数年前、やはり夜中に、客に馬鹿にされたといって泣いて電話をかけてきたことがあった。一流大学を出たからってなにさ。わたしがあいつに何をしたっていうんだ。悔しいよ、みうらちゃん。世界中を回ったからって、なんなのさ。英語が話せりゃえらいのか。フランス語が話せりゃえらいのか。悔しいよお! わたしはどうせ馬鹿だよ。だけど、なんであいつにあんなことまで言われなきゃならないのさ。そうだろ、みうらちゃん。えーん。えーん。えーん。えーん(号泣)ゆいちゃんの怒りは、なかなか収まらないようだった。
 一時間ほど彼女の怒りに付き合って、ようやく嗚咽も小ぶりになった。ゆいちゃんは、最後に辞書が欲しいと言った。客に馬鹿にされないように、国語辞書が欲しいのだと。なるべく単語がいっぱいの。
 翌日、インターネットで検索し、古本の『大辞林』を求め、宅配便で彼女の自宅に送った。後日、辞書の代金と送料が普通郵便で送られてきた。お金はティッシュにくるんであった。
 春の田のむんむん蒸されし堆肥かな

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