鈍重な編集者

 今年は怒濤の年との直感がはたらき、年賀状にもそのように書いたが、予想通り、次々に仕事が入ってきて嬉しい悲鳴をあげている。
 本を作るには、仕込みにどうしても一定期間を要する。クォリティーを下げるわけにはゆかぬ。出版も商売であることは百も承知。しかし、ウチならではの本づくりというものがある。先年他界した師匠ヤスケン譲りの編集者魂の看板を下ろすことはできない。
 ここで問題。限られた人数でクォリティーを下げずに本を作るにはどうするか。
 ?優秀な編集者を入れる。
 ?優秀な人を入れ、優秀な編集者に育てる。
 ?鈍重な人を入れ、ガンガンに叩き、優秀な編集者に化けるのを待つ。
 ?さらにいい本づくりを目指して、入ってくる仕事を選ぶ。
 ?刊行時期を少しずつ延ばし、月々平均的な刊行点数にする。
 以上、この五つぐらいが考えられるだろう。複合的にすすめるしかないとは思うが、人のことでいえば、「優秀な編集者」というものを、わたしはちょっと疑っている。師匠のヤスケンは、修飾語なしの編集者なのであって「優秀な編集者」ではない。なら、優秀じゃないのかと問われれば、そういうことでもないが…。
 きのう、帰宅途中、専務イシバシに「あなたは、ある人から垢抜けするなよといわれたそうだけど、それは最大の誉め言葉だよ」と言ったら、イシバシ急に押し黙り、雲行きが怪しくなったから、慌てて「お、おれ、おれだってカッペだもん。い、田舎者が本を作るのさ。田舎者っていうのは、体に自然が染みついている人のことをいうんだろ。な、そうだろ。そういう人じゃないと本はつくれんって、そういうことさ。な、な」ふー。危なかった。逆鱗に触れそなところ、なんとか切り抜けた。イシバシ、横目でわたしを疑わしそうに見ながら、今イチ納得できかねるといった顔をした。
 しかし、口からでまかせのような話ながら、まんざらデタラメでもないような気がしてきたのだ。ヤスケンは江戸っ子だったけど、あの人は天才的に体に自然を保持していた人だと思う。滑りのよいツルンとしたいわゆる優秀な人は、ウチには相応しくないかもしれない。
 となると、先の問題、?あたりが正解だろうか。天然自然、世間相場では一見鈍重と思われても、風通しがよく、土の匂いや潮の香りのする垢抜けない人こそ、わが社には相応しい…。
 だからって馬鹿では困る。「B4でコピーを取ってくれ」って頼んだら、何を思ったか部屋から出て行き、やがて帰ってきたかと見るや「あのう、この建物、地下は2階までしかないんですけど…」といった若者がいたそうだ。ヤスケンさんから聞いた話。いくらなんでも、こんなのはちょっと困るよ。