以前勤めていた出版社には、出版社なのに、印刷機、折機、断裁機、製本機
などがありました。
印刷、製本を担う他社の都合に合わせることを嫌った社長の考えから
だったと思います。
おなじ建物内だったから、自然と印刷部長、製本部長とも親しくなりました。
会社の仕事がふえ、並行して印刷と製本もふえて、
印刷はなんとか社内でまかなえましたが、製本が追いつかず、
他社に頼まなければならなくなったことがありました。
担当編集者として社外の製本会社に出向くとき、
親しくしていた自社の製本部長から呼び出されました。
何事かといぶかりながらS部長のもとへ行くと、おおむねこんな話をされました。
…職人は、おもてには出さなくても、腹のうちでは編集者を馬鹿にしている者が多い。
だから、仕事をお願いしに行くときは、
たとえば近くの自販機で缶コーヒーでも缶ジュースでもいいからを20本ほど買って、
会社を訪ねたなり「〇〇社です。いつもお世話になっています」
と声を張り上げなさい。そして
「足りないかもしれませんが、休憩の時間にでも飲んでください」と言うんだ。
いいかい。…
そんなことを言い含められたことがありました。
もう40年近くまえの話で、時代がかった話ではありますが、
山本夏彦の本を読んでいて、山本節を味わいながら、そうかなぁとも思いつつ、
ふと、思いだした。
私は出版社の社史が「紙」と「印刷」と「製本」に言及しないことを遺憾に
思っている。
編集と営業は車の両輪だとたいていの社史は言うが、
紙と印刷と製本、
これらがあってはじめて出版は成るのである。
それなら友であり伴侶だろうに、
その友に筆を費やしたものを見ない。
わずかに岩波が精興社に言及しているくらいである。
製本屋にいたっては一顧もしない。
昨今の編集者は紙と印刷について知らない。
紙は見本の全紙一枚を見ただけで注文している。
紙屋のセールスマンもメーカーまたは倉庫に電話するだけで、
ついに実物を見ないのではないか。
私は出版社は印刷製本業者をばかにしているのではないかと思っている。
印刷製本は職人で出版人はインテリである。
インテリは職人を低くみる。どういうわけか見る。
印刷製本屋も低く見られるのは当然のように心得ている。
(山本夏彦[著]『私の岩波物語』文藝春秋、1994年、p.247)
・あたふたと働き蟻の溽暑かな 野衾

