といういい方が、かつて(いまも?)会話のなかでつかわれていた頃がありました。
テレビドラマでは、つかわれることがあっても、
実際の生活の場面でそうそう遭遇するチャンスはありません。
先日、ある場面である方が、「ここだけの話」を枕に話し始めたので、
「ここだけの話」のあとにつづいた話よりも、
「ここだけの話」の味にひたって、たのしくなってきたのでした。
だいたい「ここだけの話」というのは、
「そこだけ」にとどまっていることはない気がします。
「ここだけの話」を耳にした瞬間、
これは相当な範囲に流布している、あるいは、流布する可能性の高い話にちがいない、
そうおもえてきてしまいます。
さらに、
5W1H(昔習ったような)的に要約すると同じ話でも、
味わいということになると、要約はそうとうむつかしい。
その人がその場で、手振り身振りを交えながらする「ここだけの話」は、
ひょっとしたら、内容よりも、その人と、
向き合っているこちらとの関係性の妙を表現していて、
替えがたく「いま、ここ」に立ち会っているとおもわされます。
・吾の道の先を転がる落ち葉かな 野衾

