興味をもつことは
精神科医で先年他界された中井久夫さんのことばに
「患者とは、考え、考え、考え、考えている者である」
というのがありまして、
最相葉月さんの『中井久夫 人と仕事』の本の帯にも引用されています。
四十代の終りから五十代の初めにかけ、
いまのこの病気にかかったとき、
敬愛する詩人の飯島耕一さんから速達の手紙をちょうだいし、
それをお守りのようにして養生したことを、ぼんやり考えていました。
「何にもつよい興味をもたないことは
不幸なことだ
ただ自らの内部を
眼を閉じて のぞきこんでいる。」
と飯島さんは、「ゴヤのファースト・ネームは」を書き起こしています。
このたびのことを書きはじめれば、
「さまざまのこと思いだす桜かな」
でありますが、
その思いをひとことの印象で片づけると、
過去に投影する現在と、現在に生きる過去ではちがう、
ということになるでしょうか。
過去にも、それなりにいろいろありましたけれど、
思いだすとなると、
痛みを伴うことはあっても、安心して眺めていられます。
なので、安心して眺めていられるまいにちにこころを寄せながら、
危険でこわい来る日来る日を、
うしろ向きに歩くような具合になっていたようです。
これではいけない! とおもうけど、
なんとも身の置き場がない、みたいな状態のときもありました。
「何にも興味をもたなかったきみが
ある日
ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
隣の部屋まで駆けていた。」
と飯島さん。
西洋医学を修めた医者が処方する薬では足りず、
森鷗外も通ったという老舗の漢方薬局にもふらふらの足を運び、
そこで処方される薬がわたしの体力を下支えしてくれたように感じます。
一日分三回の薬を煎じるのに約50分かかりますが、
養生のため、いのちの水とおもってルーティンに加えています。
わたしのいまの興味の対象は、ウォーキングシューズ。
・赤錆の屋根の上なる寒烏 野衾

