カフカさんの日記 2
1910年から1923年までの日記ですから、100年以上前、ということになります。
しかし、日ごとの体調、心配、不安、ちいさな喜び、願い、
総じて、
生きることから生じるさまざまな気分というのは、
カフカさんの個性はもちろんあるとはいえ、
100年前もいまも変らない気がします。
1914年11月3日
午後、Eへ手紙。ピックの小説『盲目の客』に目を通し、
いくつか訂正個所をメモした。
ストリンドベリを少し読んだら眠れなかった。
八時半に家に行く。
すでに始まっている頭痛が心配になって、十時にここに戻った。
そして夜もほんのちょっとしか眠っていなかったので、
仕事はもう全然しなかった。
きのう書いたそう悪くない部分を損うのを恐れたことにも、一半の理由があった。
まったく書かなかったのは、八月以来これで四日目だ。
手紙のせいだ。
ぼくは手紙を書かないようにしよう。
あるいは書くとしたら非常に短い手紙だけ書くことにしよう。
ぼくは今なんと妨害され、
またなんと翻弄されていることか!
ゆうべはジャムの詩を数行読んで、非常な幸福に浸った。
いつもは関心を持ってはいないのだが、
彼のフランス語
――それは彼が友だちの詩人を訪問したときの描写だった――は、
ぼくに強い効力を及ぼした。
(カフカ[著]谷口茂[訳]『決定版カフカ全集7』新潮社、1992年、p.316)
カフカさんは、この日の前日、ジャムさんの詩を読み、詩のことばに触れ、
「非常な幸福に浸った」という。
そうか。カフカさん、ジャムさんを読んだんですね。
フランシス・ジャムさんは、
1905年に回心し真摯なカトリック教徒となったひとで、
「自然と愛の詩人」と称される。
わたしは岩波文庫に入っている手塚伸一さん訳のものを愛読しています。
・土を破り光る光るよ蕗の薹 野衾