編集者について
『神奈川大学評論』第107号(2024年11月30日発行)に拙稿が掲載されました。
「編集者のおぼえ書き」のコーナーに、という依頼で、
自由に書かせていただきましたが、
この仕事に就いて35年が過ぎたいまのわたしの心情です。
タイトルは
「「そして」は削る」
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弊社は2024年9月で創業25周年を迎え、刊行物は、人文系の学術書を中心に1100点を超えた。弊社の編集方針として、校正は最低でも3回は行う。その際、ジャンルにかかわらず、割に高い頻度で著者に申し上げていることがある。
文章について。学術書であっても、研究者や学生以外に興味・関心のある人に読んでもらえることを想定し、音読したときに滞りなく了解できることが望ましい。
具体的には、補助動詞の「~のである」「~のであった」は、極力削除する。音読してみると、「~のである」「~のであった」は、少し重々しく感じる。それだけでなく、必要以上に、強調の度合いが増すようにも感じられるからだ。
「生きざま」は、ほかの表現に換えてはどうかと提案する。ちかごろは、項目として国語辞書に載っている場合もあるけれど、もともと、「死にざま」から派生した語だ。ぶざまな生き方をも包み隠さないというニュアンスもあるが、少し露悪的な臭いがする。作家やジャーナリストで、「生きざま」は金を積まれても使いたくない、という方もいる。そんなことを、ゲラ(組版を終えた校正紙)に鉛筆で小さく書き添える。これまでのところ、百パーセント、別の表現に換えられゲラが戻ってくる。
「渡る」は、「渡り鳥」など、おもに空間的移動に用いられる語であるが、それ以外にも「渡る」が使われていることが間々ある。文脈によって、「亙る」「亘る」「渉る」を提案する。
「にも関わらず」。この間違いも相当数ある。「にも拘らず」あるいは「にもかかわらず」と直す。
「非常に」「とても」「たいへん」は、その使用について、あまり意識していないのではないかと思われる場合は、極力削る。
「すべからく」を「すべて」の意に解していると思われる場合は、「すべからく」が漢文訓読からでた語であって、誤りであることを伝える。
最後に、「そして」。
弊社の隅の親石のような書籍に『新井奥邃《あらいおうすい》著作集』があるが、その監修者のひとり故・工藤正三先生は山形県の出身で、味のある山形弁を話した。先生の会話のなかに頻出する単語が「そして」。「そしてぃ」に近かった。先生の話に集中しようとすればするほど、「そしてぃ」が気にかかる。そういう思い出に裏づけられた感じ分けもあるかもしれないが、「そして」が多用されている原稿には、適宜カットすることで、残したところの文言が締まるように思う旨を書き添える。好みもあろうが、「そして」には、以下につづく文章を盛り上げる効果があるとも感じられ、減らすことで、むしろ効果は増す。
敬愛するフランス文学者の中条省平氏が新しく翻訳したカミュの『ペスト』のなかに、市役所の非正規職員グランが登場する。グランは、出版社に届けることを夢み、作品を書いている。そのグランが医師のリューに語ることばがふるっている。いわく、
「分かってくださいよ、先生。最大限譲歩して、『しかし』と『そして』のどちらを選ぶかは比較的簡単です。しかし、これが、『そして』と『それから』のどちらかとなると、かなり難しくなってきます。『それから』と『つぎに』となったら、その難しさは段違いです。でもはっきりいって、いちばん難しいのは、『そして』と書くべきか、何も書くべきでないかを選択することですよ」(光文社古典新訳文庫、150頁)
小説『ペスト』のなかで、一見些末とも思えるこのエピソードは、何を物語っているのだろうか。ペストという非常時の下、ものになるかどうかもわからぬまま、使うことばを換えたり、削ったりすることは、グランにとって、いわば日々の戦い、自分が自分であることの存在証明なのではないかと思えてくる。それは、このたびの新型コロナ下で、縁あっていただく原稿を精読しながらの、私の日常でもあった。
中条氏の『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』がある。フローベールを論じた文章の最後に、こんなことが書かれている。大学受験に失敗して「宙ぶらりん」の状態にあった時期のことである。
「いま思うと、そんな精神的空虚の時期にあって、『ボヴァリー夫人』の描く救いがたい人間の姿を眺めながら、私は、夢想と幻滅、情熱と憂愁を表裏一体の避けがたい人間の条件として提示するこの小説から、物語の面白さや文学の美的感動をこえて、生きることへの勇気を受けとっていたような気がするのです。夢想と幻滅、情熱と憂愁を同時に人間の条件として引き受ける覚悟といってもかまいません。」(178頁)
人生には「宙ぶらりん」と感じられ、もがいたり、あがいたりする時期がある。そういう時期に何を感じ、考え、どういう行動をとるか。小説を読むことの意味について、これほど真摯に記された文章を私はほかに知らない。中条氏は小説について語っているが、グランの「そして」を残すか、削るかに悩む時間と重ね、ことばの深度、本づくりの要諦について改めて考えさせられた。
・冬の朝蜘蛛くんおはよう横つ跳び 野衾